パーキンソン病の妻と介護する夫の日記

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病気と共に

妻乳がんを患う

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〇 外反母趾から乳がん手術に切り替える

2006年は明るいお正月を迎えた。娘が二人目の子供を身ごもったという。予定日は九月初めとのこと。正月帰省中の娘一家とめでたい正月となった。そこで、出産は第一子と同じく横浜の近くの病院でするという。妻は、産後の手伝いに行くことになる。そのころ妻はひどい外反母趾の痛みに悩まされていた。九月なら、今手術を受ければ、何とか間に合うだろう。外反母趾専門の病院をネットで探し、横浜市内の病院へ診察してもらった。手術は可能であり、二月中旬の予約を取った。やれやれ、これで外反母趾の痛みから解放され、孫の世話ができると安堵した。その夜娘の家で夕食を済ませ、だんらんの会話の中で、妻が「近ごろ乳首から血がにじむのよね」と言ったら、娘が「そりゃおかしい。乳がんかも知れない。帰ったらすぐに専門病院へ行って検査を受けろ。なにぼやぼやしとるんね」と檄がとぶ。家に帰った翌日以前子宮筋腫の手術を受けた総合病院で検査を受けた。結果は果たせるかな、「乳腺がんの初期」との宣告。でも、信じたくない。セカンドオピニオンを求め、国立がんセンターの検査を受けた。やはり判定は同じ。がんセンターのほうで手術を受けることにし、予約した。三月初旬の手術となった。手術は無事に終了。「第一期の乳腺がんで、リンパへの転移はまず心配ない」とのことであった。乳がんの宣告は、パーキンソン病の宣告の時に比べると、なぜか私にはそれほど打撃を与えなかった

〇 外反母趾の手術を横浜で受ける

抗がん剤の投与を三か月間受け、髪は抜けカツラになった頭で、念願だった外反母趾の手術を横浜で受けた。2006年7月11日執刀、10日間くらいの入院だった。その間執刀医は夏季休暇。看護師が傷口を消毒し、包帯を取り替えてはくれた。退院後初めて執刀医の開業病院へ術後の状況を見てもらいに行った。(手術を実際した病院は提携先の大きな病院だったので)  第一声「どうしてこうなるまで放置した!」だった。こちらは、放置などしてない。痛み止めを飲んでじっと我慢していた。放置したのは夏休みとか言っていなかったそちらの方だ、と口先まで出たが、ぐっとこらえた。そのくらい術後の経過は悪かったのであろう。その後自宅から横浜の病院まで一週間に一度飛行機で往復して様子を見てもらった。

〇 二番目の孫誕生

それでも、妻の足の痛みは治まらない。しかしながらどんどん日にちは経っていく。出産予定が一週間早まり、二番目の孫が無事生まれた。奇しくも一番目と同じ誕生日になった。8月31日である。誕生したのが、一週間早くその日は自宅にいた。急いで切符をとり、横浜へと飛んだ。悪いことばかりではない。こんな喜ばしい出来事もあった。

でも、孫の世話どころではない。自分自身もままならない妻であった。その後の外反母趾と乳がんの経過は次回以降に続きます。

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