2023.03.31久しぶりに孫を連れて吉野ヶ里へ
吉野ヶ里へは何度も出かけた。最初は佐賀県の教育委員会が工業団地を誘致するため以前からいろんな考古学的遺物が出ていた神崎町の調査発掘で、手束が付いた銅剣が出てきたときのことであった。それは1986年の9月ごろのことであった。発掘調査に当たられた七田さんのお父さんが最初に移籍を発見したという。七田さんと当時佐賀県の教育長をされていた高島さんの説明をじかに受けた。更に松本清張さんが彼独特の推理でここが魏志倭人伝に出て来る邪馬台国ではないかとかなんとかいうシンポジウムも開催されMoriも参加した。
前回は10年前くらいに間一番上の孫を連れて行った。その時はもう甕棺墓列の上に立派な建物の覆いができていた。それに弥生時代当時の復元住居や高見やぐらや立派な楼閣も建てられていた。孫が小学校5年生の時だった。この時はその甕棺墓列の東南に位置する神社(確か日吉神社だったと思う)はそのままであった。Moriはその神社こそ重要人物が埋葬されていたのではないかと思った。
2023年3月再び今度は二番目の孫を連れて吉野ヶ里遺跡を訪れた。孫はこの春高校二年生になる。歴史には極めて興味を持っているので娘が里帰りに連れてきたのをよい機会だと考え一も二もなく早速連れて行ったのである。前回と違って遺跡公園となり更に入場ゲートなどすっかり整備されていた。
☆ 日吉神社の発掘調査始まる
2022年の暮れ近くに吉野ヶ里遺跡で甕棺墓列の近くの神社跡の発掘調査が進められているというニュースがテレビで放送されていた。Moriはいよいよ期待する遺物が発見される時が来たと密かに待ち望んでいる。
この度吉野ヶ里遺跡を訪れた日はあいにく発掘作業は休みで、ただブルーシートで現場は覆いされていた。発掘作業がされていたら、そこの現場監督の学芸員にいろいろお聞きしたいところであったが残念だった。
これからさらに発掘調査が進み新しい発見があることを期待しつつ吉野ヶ里遺跡を後にしたMoriであった。