パーキンソン病の妻と介護する夫の日記

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Mori 禁酒に挑戦

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☆ 2024年2月20日は記念すべき日になるか

Moriはこの日から意を決してアルコール断ちを開始した。まだ今日でたったの5日目である。人に依れば酒を飲まないなんて簡単なことだという。しかし、意志の弱いMoriにとっては大変な決心である。三日坊主と人に言われるほど何事も続かない。

Moriがお酒に接したのは、正月のお屠蘇以外では、大学に合格して、入学までの待機休暇中のある日同級生のY君と酒の販売をしていたS君の家で祝杯を挙げたのが初めてである。その時、酒と言ってもビールをコップ一杯飲んだだけである。”こんな苦いものを大人はよく飲むもんだ”というのが感想である。その一杯のビールに酔い、S君の家の二階から一階への階段を降りるのが大変難儀したのを覚えている。そのS君と学生時代にビアガーデンでばったり会い二人で飲み始めた。Moriは大ジョッキで生ビールを3杯飲んだ挙句に大びんのキリンラガーを12本飲んだ。これはMoriが飲んだビールの一回の最大量である。

大学時代はコンパや何やらあったがそれでもせいぜい月に1,2回飲む程度あった。当時は日本酒が一般的であった。時たまスナックなどに行くと、ウイスキーをコーラで割ったハイボールなるものを飲んでいた。時にはダブルのストレートを飲むこともあった。一口目は喉が焼け付くようにひりひりするが二口目にはもう喉がマヒしてそれほど感じなくなった。 大学卒業の折、学生寮に4年間住み続けた寮生のお別れコンパが学生会館で催された。日本酒で飲み始めた寮生たち40人ばかりが飲むを飲むわで用意されていた日本酒がすべて空っぽになった。幹事のものが近くの酒屋に買い出しに行った。あまり会費は残っていない。でも何とか4,5本一升壜を下げて帰ってきた。ほとんどみんな酔っぱらっていたのに、また飲み始めた。Moriもコップに注がれたそれを一口飲んで”うん?何か味が違う”と思ったがまあ銘柄の違う酒だと思い飲み干した。その内何が何だかわからないほど酔っぱらった。みんなも同様であった。あとで聞いたら、「予算の関係であれは焼酎だった」とのこと。25度か30度の粕採り焼酎だった。当時の焼酎の一般的な値段は日本酒の半額程度であった。

社会人になってしばらくの間は、宴会と言えば、最初の乾杯だけビールであとは延々日本酒中心であった。ところがMoriは35歳から62歳で会社を辞めるまで、外でも家でもビール一辺倒、退職しても4~5年はビールだけを飲み続けた。ある日隣のKさんに今の焼酎はうまい。特に芋焼酎のXX島がうまいと言われ、MoriもXX島を買ってきて飲んだ。本当にうまい。それからというものは家ではこの焼酎をほとんど晩酌に水割り1~2杯飲んできた。

そんなMoriも今年1月で80歳になった。妻からも、娘からもいい加減酒を飲むのはやめなさい。「これからも飲むのならもう何があっても面倒は見ない。」との娘からの最後通告。それは2024年2月19日の夜だった。

Moriは二十歳からタバコも吸い始めた。でも50歳になったその日からぷっつりと止めこの30年間一本も吸っていない。禁煙する前までは一日に20本入り2箱吸っていたヘビースモーカーだったのに、、、その時、たばこは止められたが酒までは無理だと思い飲み続けて今日に至った。

でも、Moriもそろそろお酒をやめる潮時と観念しよう。三日坊主が今日で五日目。

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