★ 山ぶどうとの出会い
・ 私とmori(夫)が住む九州の田舎でもめったに見かけない立派な山ぶどうの実を見つけた。。娘夫婦と3人の孫娘が住む横浜でのことである。京浜東北線の「山手駅」を降りると左に住宅街、右が小学校の土手になっている。5,6分狭い坂道を登って行く。土手には多種類の植物が秋の深まるのを待っている。キャリーバッグを引っ張って最後の階段を4、5段上ると娘宅到着である。 今回私たち二人して娘宅にやってきたのは一番上の孫娘がエストニアにバレイ留学することになり、両親が現地での手続きを兼ねて送っていくことになった。そこで、横浜で留守番する孫娘二人のお世話を頼まれたからである。祖母である私は病を持つ身ながら何らかの役に立つと自分では思う。と言っても、中心は祖父である。 食事の支度、買い物、洗濯、庭・畑仕事、一番末の三歳の孫の保育園の送り迎え。次女は私らの手を煩わせない。たまに勉強を見てあげる程度である。彼女が大変なのはクラブ活動!吹奏楽クラブでクラリネット担当している。朝練のため五時に一人で起きて、弁当を作り、朝ご飯も一人で食べて出ていく。よーやるとババは感心しているが、かわいそうでもある。いつもママはどう思っているのかなあー?
・ 手伝いのジジババが着いたときには既にパパ・ママは出発していた。(本当は出発前に到着するよう飛行機の予約を取っていたが、前日からの台風接近で、欠航が予測され、急遽新幹線に乗り換えたため間に合わなかった) 荷物の整理を済ませて、私らの寝場所はどこかなと二階へ行く。次女が「おばあちゃんとじいちゃんはここで寝るんだよ。いつも姉ちゃんと私が寝ているとこだけど使っていいよ。」と部屋を見せてくれた。寝室の準備がちゃんと出来ているので安心して階下に降りる。
・ 私はあの土手の山ぶどうが気になって仕方ない。次女と爺とお茶を飲み、空港で買った「通りもん」をおやつ代わりに食べる。私はおやつより山ぶどうが欲しいので、爺に「山ぶどうを採りに行きたい!」と言うが「来たばっかしや。ちったあ静かにしとこ。時間は十分にあるし、その内採ってきてやる。」という。今回の滞在予定は11日間、両親留守の家で、11歳と3歳の女の子の面倒を見ながら暮らすわけでどうなるか心配ではある。
★ 悪魔の山ぶどう
・ さて、今回の話の主題は孫娘の世話のことではない。そろそろ、本題に入る。
九州に帰る日も近づいてきたある日の夕方、mori爺やっと山ぶどうを採りに行こうと言い出した。moriは剪定鋏と高枝切りを担いでくだんの土手へと私とともに向かう。山ぶどうの蔦は二か所に生えており、それぞれに実を着けていた。最初のつるをmoriがとってくれた。かなり立派な蔦であ。私は喜んでそれを持ち帰った。moriはもう一か所のも採ると言ってさらに下へと進んだ。しばらくするとmoriが玄関を入るなり、「こちらのほうが立派やで。」と呼ぶ。私は居間から玄関に飛び出した。moriの片手にぶら下げているのは確かに「山ぶどう」。よく色づいている。大きな葉に守られるようにビーズの玉のような濃い紫の粒が枝から下がっている。今日の空のように深い空色や、まだ色づき始めたばかりの淡い緑。一粒一粒違った色の宝石のようだ。昨年は絵画教室でこのつるを描いた。ユニクロのTシャツにも描いた。左肩から右下に垂れ下がっている構図だ。
・ moriは玄関ドアの前に突っ立ったまま私に収穫物を渡そうとした。大急ぎ受け取ろうと近づきながら手を伸ばした。ところが、何故ここで足が滑ったのか??、、わからん…、自分の体が浮いている。このままだと玄関のタイルに顔をぶつけるぞ、ということは理解できた。顔をぶつけないようにと思ったのか飛びながら体をひねってひじからバッタリ。 私の不運の一部始終を眺めていた(見ていた)moriと次女は眺めている場合じゃないと悟ったらしく、唸るばかりの私を居間に引き上げ椅子に座らせた。
★ 救急車で運ばれて
・ これは「救急車を呼んだほうが良い」クラスの事故だ。しかしその前にやらなければならないことがある。と元気な二人は考えが一致した。爺と次女は保育園に行っている末娘を迎えに走った。この家の台風娘として存在感を発揮している三歳児である。次女にこの「台風娘」を預けて、身動きできない私は救急車でXX病院へ運ばれた。先生に訳を話して即レントゲン。腰から左太ももあたりを撮る。寝てるだけで痛いんだから、足も腰も動かない。少し動かしただけで悲鳴を上げる。「痛くて動かせません。」と担当の人に訴えた。「じゃ,レントゲン撮れません」という、なんて冷たい言葉。優しく”ちょっとの間だから頑張って”と言ってくれたら頑張れたのに。”痛むのは私で、あんたじゃないやろ!も少し優しくしたらどうなんよ”と噛みつきたいのをやっと我慢した。やっとのことで撮影が終わって先生の診察に戻った。「どうやら、骨折はしてないようです。」”骨折はしてないか。良かった”。車いすに乗ってタクシー乗り場へ。痛み止めの錠剤を出してもらった。”骨は折れてないというのになぜこんなに痛むのか?” いつものよう近くの学校の裏門あたりで車を止めた。
やっと立てる状態。moriと孫娘が両脇を抱えて何とか歩かそうとしたが、足は一歩も動かない。何ともなければ家まで1~2分の距離だというのに。とうとう歩くのをあきらめた。末の孫の小さい頃のちびったベビーカーがまだ玄関に置いてあった。moriはそれを取りに走った。「壊れても知らん」と次女が言う。「壊れたら新しいのに弁償する」moriと孫娘とのやりとり、私はどうでもいい。はやくなんとかして! moriはその小さなベビーカーに私を乗せ、ゆっくりと移動。玄関前の階段は3,4段。孫とmoriが抱きかかえるようにしてやっと玄関にたどりつき、居間に横に寝かされた。しばらくして、二階へ二人にかかえられながらも階段を上ってやっとのことでベッドに寝た。痛みは薬を飲んでも収まらない。一晩中うめきながら過ごした。それでも、夜中トイレには何とか歩いて行った。翌日近くの薬局にmoriが痛み止めか湿布を買いに行った。そして店の奥さんに事情を話したらしい。奥さんは介護用の大人のおむつをしたらよいと言ってくれた。だがそのおむつはその店にはパックではなかった。奥さんは,よかったら使ってと言って渡してくれたそうだ。
娘夫婦はあと2~3日帰ってはこない。moriは横浜市の福祉センターに電話をして車いすを借りてきた。それまでは椅子を車いす代わりにしてトイレなどに連れて行ってくれた。やはり車いすは楽である。moriはNETで早速車いすの購入予約をしていた。九州の家に帰り着いたら即配達されるように手配したらしい。娘夫婦が帰ってきたら、翌日には九州に帰る予定だ。ちゃんと責任もって留守番薬ができたとは言えないけれど、この痛みに耐えて帰ることができるだろうか?私一人ここに残って厄介になるのも嫌だ。九州の家の近くのかかりつけの整形で今一度診てもらいたい。
・ 娘夫婦が帰国した翌日、予定通り羽田へ向かった。空港では車いすを借りた。羽田空港は広いのでとても歩くことはできない。車いすは大助かりだった。到着の空港にも車いす手配をお願いした。到着した空港では最後に飛行機を降り、待ち受けていた空港係員に車いすに乗せられ、手荷物を受け取り、タクシー乗り場まで送ってくれるよう頼んだ。ところが係員の女性はそういうことはあまり手伝ってなかったと見えて、タクシー乗り場ではなく降り場まで連れてきて、そこで車いすから降ろされた。よく見ると乗り場までは30メートルほどある。この時の30メートルはとても厳しかった。moriにつかまりながら足を引きずりながらやっとのことで乗り場につく。運転手さんは私の異常に気付き、すぐに後部座席に乗せるのを手伝ってくださった。空港から約30分で自宅に到着。降りるのも手伝っていただいた。家の中に入り、今の椅子までの遠かったこと。手配通り車いすは配達された。その晩久しぶりに自分のベッドに寝た。介護用おむつをして。(介護用おむつは、近くの老人養護施設に入所している母が時々私の家に泊まる。その時様にたくさん在庫があった。)
★ 股関節骨頭骨折
・ 次の日は水曜日。できるだけ急いで、かかり付けのH医療センターに行った。自分では急いだつもりだが結局病院の受付に到着したのは11時を少しだけ回っていた。「受付は11時まです!」と言われたが、「そこを何とか」とmoriは事務員を説得、「どちらの科ですか?」「整形」「整形外科は水曜日は手術日で外来はお休みです」という。”そうだった!”と私も気づく「そこをなんとか」mori粘る。整形の受付に連絡を取ってくれた。「手術の合間にどなたかの先生が診てくれる。」とのことでやっと整形の受付までたどり着いた。あまり待たずにT先生という方が診察してくださり、レントゲン撮影。こちらの撮影技師の方は痛む私の左足を気遣いながらやさしく対応してくださった。横浜の病院とは大違い。撮影が終わり、先生の診断を聞いてビックリ!! 「股関節骨折です。すぐ入院手続きをして、絶対安静、左足は動かさないように。」”横浜とはまるで話が違うではないか!” 骨折してなければ時間がたてば痛みは弱まるはずが、弱まるどころか段々ひどくなってきた理由がやっと判明。 でも、「手術はなるべく早いほうがいいのですが順番で一週間程度待っていただかないと。」 ”一週間安静!ヒェ~” 「股関節を骨折して、よく横浜から帰ってこられましたネ。相当きつかったでしょう?」 ”きついどころではない!でも骨折してないというから我慢していたのに” ”ほんとにもう!” その日のうちに入院の身になりました。長~い長~い一週間が過ぎて手術が無事に終わりました。実はこの話には後日談がありますが、またの機会にご報告します。最後まで読んでいただいてありがとうございました。