・2024年5月初め妻と孫の晴れ舞台を一目見ようと娘の住む横浜へ行くことにした。家から空港まではタクシーに旅行用の簡易車椅子を積んで行き、タクシーを降りてから航空機の搭乗手続きカウンターまでは車椅子に妻を乗せていき、手続きを済ませ、自分の車椅子から航空機会社の用意した車椅子に乗せ換え、自分の車椅子は手荷物として預け、Moriは妻の乗る車椅子を押して手荷物検査を受ける。妻はいつもこの検査場のゲイトでチェックに引っかかる。原因は妻が六年前に手術した人工股関節のためである。昨年三月に入れた心臓のペースメーカーのせいではない。
・どうにか関門を通り抜け、搭乗口の近くまで行く。妻はパーキンソン病発症から25年以上が経ち、食べ物を嚥下する力が著しく低下している。なんでも食べられる状況ではない。搭乗は12時05分である。妻はお腹がすいたという。Moriは急いで売店に行き妻が食べられそうな弁当を買って来た。妻はその場で食べると言ってきかない。でも搭乗はもうすぐ。車椅子のものが最初に案内される。何とか食べるのを我慢させて搭乗する。全員が搭乗し終わり滑走路へと向かう。5分遅れ。だが、なかなか離陸のアナウンスがない。空港が離発着で込み合っているらしい。妻は我慢できない。そこを待たせる。30分くらい待機した後やっと離陸。やれやれ。上空に達しベルト着用のサインが消え、テーブルが使えるようになった。待ちかねている妻へ弁当を出す。妻はおいしそうに食べ終わった。Moriは朝ご飯の残りをおにぎりにして持ってきたのを食べる。
・羽田空港には娘夫婦が車で迎えに来てくれている。Moriは手荷物のスーツケースを引き、妻の乗っている車椅子を片手で押して到着口を出る。いつものパターンである。朝起きてここまで来るのにかなりの疲れがMoriを襲う。娘らの迎えの車に乗ったときはもうぐったり。
・最近妻は認知症も少し進んでいるようでなかなかMoriのいう通りにはならない。それどころか認知症の特徴ですぐに怒り出す。Moriのストレスは溜まる一方である。一日のストレスを何とか発散すべく焼酎一杯の晩酌を省とすると、これを妻はひどく嫌う。娘もアルコールは体にも脳にも良くないからやめた方がいい。飲むなら母さんが寝た後にして、という。夕食の時に一日の疲れを癒すために一杯やるのが晩酌の良さである。妻の寝た後こそこそ一人で飲むほどつまらない酒はない。
・翌日夕方娘の夫の運転する車で今回の目的の孫のバレェ公演を見に行く。片道一時間強の道のりである。バレェの公演は一時間半ばかりである。毎回の事ではあるが、今回は孫が初めてソロで踊るので妻も何が何でも観たかったという。娘の家に帰りついたのは午後11時近く、妻は疲れ果てそのままベッドへ。
・娘と二番目の孫は電車で帰る。我々とあまり変わらなく帰宅。それからビールで乾杯。これからのことをを話し合った。特にMoiたちのことが中心である。娘はMoriのストレスを気遣い「母さんを時々ショートステイか病院に定期的に入院させて、その間Moriがゆっくり心身を休めるようにしな。」という。妻は老人ホームのショートステイはいやだと受け付けない。娘は「帰ったらすぐにかかりつけの病院に相談に行き実情を訴えて、お願いすること。」といった。
・家に帰った翌日すぐに病院に電話したら、事情は分かった、次の定期検診を速めて次週の火曜日に来るようにと言われた。一週間後である。当日妻を車に乗せ片道約一時間の病院に行く。此処に妻が25年以上お世話になっているI先生が余生で勤務している。A病院は大きな病院ではあるが個人病院である。今は会長であるM先生(I先生の医学部時代の同級生)の子供さん一家が医者で家族ぐるみでやっている病院である。院長は会長の長男。
・Moriは実情を訴え何とか定期的に1週間か10日くらいの妻の入院をI先生に頼んだ。入院手続きをして帰る。結果は電話があることになった。家に帰ってしばらくすると病院のソーシャルワーカーから電話があった。Moriは期待して電話を取る。でも、「奥さんの病状はそれほどではなく、ショートステイを合わせて検討してみては? 今はまだコロナ感染者のためにベッドを幾分開けておく必要がある。レスパイト入院は難しい」とつれない。Moriは「妻はショートステイを嫌っているので何とか秋ができたときにはお願いします。」というしかなかった。やれやれ。娘にそのことを伝えると「やっぱりね」と一言。
・コロナは一般のインフルエンザーと同等になったにもかかわらず、病院関係ではいまだに特別扱いされている。いつになったらコロナ以前の状態に戻るやら。Moriもそれまで何とか元気に気力をもって頑張らなくちゃ。