☆ 娘の家の留守番
・ 年が明けて間もなくの頃、娘から「また留守番に来てくれないかなあ」と言ってきた。「今度はちょっと長期間になる。2月いっぱいくらい来てくれないか?」とのこと。moriも妻も病院の定期検査や地域の行事、ボランティア活動などあり毎日が休みとは言え結構スケジュールは埋まっている。moriのボランティア活動は何とかなるが一番困るのは妻のパーキンソン病の定期検査と薬である。一月末が予定日である。したがって次は7週間後だから2月にはない。2月2日に地域の老人会の懇親会があり、moriは会計担当の役員のため休むわけにいかない。したがって2月3日から2月末日までは何とか積語が付く。その旨伝えると「2月3日から2月18日まで来てくれ、自分は2月18日に帰ってくるから2月19日には九州に帰っていい。」と言ってきた。本当のことを言えば2月20日にmoriも役員をしているNPO法人が開催する一般向けのセミナーがあり出席予定であったのでちょうど間に合う。
・ 今回の留守番は保育園に通う末の孫の送り迎えと家事の世話である。娘は海外に留学している長女の就活のサポートに行く。夫はサラリーマンなのでウイークデイは末っ子の迎えには間に合わない。次女は中学生で部活がありやはり迎えは無理である。そこでいつものようにジジババにお声がかかった。これでこのようなことは何度目だろう。最初は今中学生の次女が4歳の時であった。長女が小学校4年生くらいでモスクワにバレエの短期留学に行き、その父母は会社のコンベンションで夫婦して海外へ行く。取り残された4歳の次女のお守りであった。moriと妻は保育園の送り迎えと食事の用意、お風呂に入れて寝かせつけ。遊び相手。孫とは言えよその子を預かるのは大変気を使うことである。一週間程度であったが、それはそれは長く感じられた。それにしても、4歳の孫は良く耐えてくれたと感謝でいっぱいだった。最初に日本へ帰ってきたのは4年生の長女であった。それでも次女にすれば待ちに待った姉ちゃんのご帰還である。姉ちゃんはジジババとは問題にならない程頼りになる。それまで夜になると半べそをかいていた次女が見違えるように元気になった。ジジババはほっとした。2~3日してパパ・ママが返ってきたときの孫の嬉しそうな顔は忘れられない。ジジババはやっと重責から解放され、ほうほうの体で九州へ舞い戻った。
・ その後も同じようなことを繰り返し、今回である。moriと妻も年をとったものである。moriは長女、次女の通った同じ保育園への坂道の上り下りが結構つらくなってきた。確かに、これで保育園の送り迎えとも卒業である。長女が保育園に入ったのは今から18年前である。保育園の先生方ともmoriはなじみの顔になっている。末の孫も4月から小学生になる。そろそろ留守番役も終わりかな? 神様どうか三人の孫たちの成長をジジババに替わりお守りください。